2025年4月1日、
RBCの琉球放送で 琉球歴史ドラマ・茂知附 (もちづき) が上映されていました。
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その日はエイプリルフールでありましたので、まこと田舎お話ですが、
勝連城主の茂知附按司 (もちづきアジ) は実在していた事は本当お話です。
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… 按司 (アジ / あんじ) とは →
中国風の呼称で、日本史に登場する三浦按針 (ウイリアム・アダムス) の按と同じで『按 (おさ / 長) 』を意味。
✽按針 = 航海士 / 船長
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と同時に 倭寇 (海賊) 出身の茂知附按司 (もちづきアジ) が勝連城の『按 (おさ / 長) 』にまで登り詰めていた事にもなります。
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茂知附 (もちづき) が登場する15世紀は琉球史の基点で その15世紀はイスラム教国のマラッカ王国が馬来 (マレイ) 半島に登場する時代 マラッカ王国は東西文明を結び その後の大交易時代の源泉にもなっています。
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歴史はデジャヴすると云われていますが、日本史の基点は7世紀で その7世紀はイスラム教が誕生した時代。← その時は望月 (もちづき) が登場します。
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茂知附 (もちづき) と 望月 (もちづき) は 駒人 (コマぴと) と 月星信仰に縁ある人物。
端的にいうと、東アジアの政治は儒教的で儒教は農本主義 ⇔ イスラム教は重商主義の政治を特徴。
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(・・? 近代化というと?
『
西洋化 (≒近代化) 』? と連想する人も多くいると思いますが ⇔ 意外にも江戸時代 (近世) と 明治時代 (近代) の
政治は連続しており
江戸時代も明治時代も
儒教的な
政治をしていた (いる?) といいます。
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天主教徒のマテオ・リッチも儒教的な服装をするほど →
東アジアでは儒教的な政治が王制に多大な影響を与えていた (いる?) ようです。
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天主教徒のマテオ・リッチは、
『東西文明の架け橋に』と語られていますが ⇔ その下地 / 基盤は、馬来 (マレイ) 半島のイスラム教国・マラッカ王国のムスリム商人にあったと云われています。
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日本史の基点は7世紀でイスラム教が誕生した時代 琉球史の基点は15世紀でマラッカ王国 (イスラム教国) が登場する時代 儒教的な農本政治とイスラム教的な重商政治のデジャヴが見られます
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日本史の基点は7世紀に望月 (もちづき) 琉球史の基点は15世紀に茂知附 (もちづき) がデジャヴ 茂知附 (もちづき) と 望月 (もちづき) は 駒人 (コマぴと) と 月星信仰に縁ある人物 月星信仰は道教的な仏教になります。
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儒教と道教は仏教に付随して7世紀の飛鳥時代に来日。日本の政治 (律令制) も唐朝 (仏教王国) の制度を模範としているので、仏教 (儒教と道教) を見る事は重要と云われています。
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内容は複雑していますが、
7世紀は商業を重視するイスラム教が誕生した時代で、これまで商業活動していたペルシア系の胡人 (駒人の商人) も東方に移動する時代。日本でも蘇我氏 〜 藤原氏に政権交代し → 倭国 〜 日本に。大王 (オオキミ / 大君) 〜 天皇へ。日本書紀の編纂や律令制など。政治体制が整備される時代になっています。
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その昔、
不動の星・北極星を目印として西洋と東洋の文明ロード(絹の道)を「遊牧 / 行き来」する商人 (駒人) がおり 古くはペルシア系遊牧民から派生した人々が多くいたと云われています。
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そうした商人 (駒人) たちは、
天の
「星」と
地の
『石』を結び付け →
「星信仰 ≒ 石信仰』にも進展して行き
東へ向かった商人 ≒ 駒人 (コマピト) たちが持つ
「星信仰 ≒ 石信仰』が来日します。そのペルシア系遊牧民 (駒人 / 商人) たちは
仏教徒が多く、彼らが
仏教の中に古代中国宗教・
道教を取り入れて → 西域 → 中国 → 朝鮮 → 日本へと「
月星信仰』を普及させた。という お話です。
中国 → 朝鮮 → 日本といった東アジアに仏教を普及させたのは、ペルシア系遊牧民 ≒ 駒人 (コマピト) に由来する説もあります。
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6世紀・日本へ仏教を公式に持ち込んだのは
蘇我氏で。その拠点・飛鳥 (あすか / 明日香) には、いくつもの
謎の石造物があるといい。その中にペルシア人に似た石人像も登場します。胡人 ≒ ペルシア系中国人 (貿易商人 ≒ 外向官) と思われ。
蓬莱山・仙人・不老不死と言葉は「
道教用語」と事はよく知られています。
仏教 (儒教と
道教) はガンダーラ地方から日本にやって来ました。その西方には
クシャーナ朝という仏教王国があり、その影響も受けていたようです。
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(・・?
仏教はインド由来?
思う方もいるかもしれませんが、
仏教には
南伝仏教 (上座部仏教) と 北伝仏教 (大乗仏教) とあり、
どちらかというと、南伝仏教はインド的 ⇔ 北伝仏教はペルシア的であったとも云われています。
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北伝仏教は 中国 (東方) に行く前に ← いったん西方 ← ペルシア方面のガンダーラ地方 (現・ペシャワール地方) に行き → 西域と呼ばれた地方に行き → 中国 (東方) に伝わっていました。
6世紀・日本へ仏教を公式に持ち込んだ蘇我氏の祖先は月氏の子孫・大月氏と云われています。月氏は大月氏 (ペルシア系) と小月氏 (トルコ・チベット系) に別れ、大月氏は中央アジアのバクトリア地方に大月氏国を建国。
大月氏が
大月氏国を建国した中央アジアの
バクトリア地方は、シルクロードの
天山南路の入口近くにあり、砂漠のオアシスと知られていたようです。
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後ほど、
大月氏国から分裂した
クシャーナ朝が
ガンダーラ地方 (現・ペシャワール地方) に都を置いたと云われています。
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インド化したペルシア系民族 (大
月氏) が建てた国・
クシャーナ朝は、同じくペルシア系民族の国・
ササン朝に亡ぼされ吸収
7世紀半ばに入ると;
ササン朝 (ペルシア帝国) は
イスラム教国に亡ぼされ吸収されて行きます →
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イスラム教は
マニ教 (世界宗教) をお手本に作られた?とも云われ、似た部分があったようです。
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内容は複雑していますが、
大月氏国 (ペルシア系民族) から分裂した仏教王国・
クシャーナ朝 (インド化したペルシア系民族) は
商業王国で。
クシャーナ朝は
ササン朝に
ササン朝は
イスラム教国に亡ぼされるのですが
歴史の
勝者は
敗者の文明を
『吸収』して拡大
商業王国・
クシャーナ朝の名残は
回教徒と呼ばれたイスラム教のムスリム商人たちに継承されて行きます →
大月氏国 (
商業王国) が拠点としていたシルクロードの
天山南路は
後ほど『
回紇 (ウイグル /
回鶻) 人』の拠点となり、その
回紇 (ウイグル) 人は民族的にはテュルク系
文明的にはペルシア系の風習を継承。
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… 回紇 (ウイグル) は
→
ペルシア由来の
世界宗教・
マニ教を国教とする
商業王国で
後ほどイスラム化 → 中国では「イスラム教は回教 / イスラム教徒を回教徒」と呼ぶのはその
回紇 (ウイグル) 人を由来とし、回教徒の
商人が多くいたようです。
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ダイブ飛んでいますが
歴史は何度も
繰返し栗返し → デジャブする事を考えており。その名残は中国にも日本にも多大な影響を与えていた。歴史の
勝者は
敗者の文明を
『吸収』して拡大する政治は、日本でも存在していたと思います。
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…7世紀は →
蘇我氏 〜 藤原氏に政権交代していますが、
歴史の勝者は政治 (儒教的) 敗者は祭祀 (道教的) という仕組みが存在し、政治は藤原氏 祭祀は葛城族 (賀茂氏など) が担当していたと云われています。
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古代 〜 江戸時代まで、
公家や
武家が
商業を行うは
「恥づべき事」という思想がありましたので、宗教関係者が名目上は
祭祀とする
商業が行われていました。
✽祭祀 ≒ 商業
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信濃国には『
葛城族の
役小角 (えんのおずの / 本名は
賀茂氏) が
蕎麦 (ソバ) を普及させた』との古文献があり。当地は
蕎麦の里であると同時に
望月の里にもなっていたようです。
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ー?→
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(・・? たまたま お話?
蕎麦 (ソバ) の発祥地は中国の雲南省と云われています。
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茂知附 (もちづき) が登場する15世紀は琉球史の基点で その15世紀はイスラム教国のマラッカ王国が馬来 (マレイ) 半島に登場する時代 マラッカ王国は東西文明を結び その後の大交易時代の源泉にもなっています。
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当時の中国は、元朝 〜 明朝に政権交代していましたが、まだまだ 元朝の残党 / 余力 が残る時代で。琉球は明朝に対して、主に『馬と硫黄』を輸出していました。←馬と硫黄は 元朝の残党 / 余力 に対する交易品でありました。
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またまた
中国の雲南省は元朝の時代に商業活動を行っていた回教徒 (ムスリム商人) たちの最期の拠点になっていたようです。
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馬来 (マレイ) を拠点としていたのは、
ムスリム商人 → ポルトガル商人 → オランダ商人 →
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ー;→
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(・・; 詳しくは解りませんが;
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回教徒 (イスラム教徒) の
馬三保は
ムスリム商人 (回教徒の商人) とともに中国の雲南省からマレイに来島。
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中国は明代の武将。12歳の時に
永楽帝に
宦官 (かんがん) として仕えた。軍功をあげて重用され、1405年から1433年までの南海への7度の大航海の指揮を委ねられた。鄭和の船団は東南アジア、インド、セイロン島からアラビア半島、アフリカにまで航海し、最も遠い地点ではアフリカ東海岸のマリンディまで到達した。
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生い立ち
馬三保 (後の鄭和) は、1371年に馬哈只 (マハッジ) の子として雲南省でムスリム (イスラム教徒) として生まれた。姓の「馬」は預言者マホメット (ムハンマド) の子孫 (サイイド) であることを示し、名の「哈只(ハッジ)」はイスラム教の聖地メッカへの巡礼者に与えられる尊称ハッジに由来する。
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宦官・鄭和
鄭和が生まれた1371年には、雲南はいまだ元王朝系の梁王国の支配下に置かれていたものの、すでに中国本土は朱元璋の建てた明の支配下にあり、元の勢力は雲南など数か所で余喘を保っているのみとなっていた。1381年、鄭和が10歳の時に明は雲南攻略の軍を起こし、翌1382年に雲南は滅亡。鄭和は捕らえられて去勢され、1383年ごろに
宦官として当時燕王だった朱棣(のちの
永楽帝)に献上された。
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朱元璋の死後、1399年から1402年にかけての
靖難の役において馬三保は功績を挙げ、帝位を奪取した
永楽帝より
宦官の最高職である太監に任じられた。さらに1404年には鄭の姓を下賜され、馬三保は鄭和と名乗るようになった。
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馬三保 (後の
鄭和) の
馬 (マ) 姓は、イスラム教の創始者・
マホメット (ムハンマド) の
「マ」を由来? とも。
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ー マラッカ王国 ー
14世紀末ころマレー半島西南部に建国されたマラッカ王国は、当時タイのアユタヤ王国に従属していたが、15世紀前半に
鄭和 (
馬三保) の南海遠征が行われるとその拠点となり、15世紀半ばには国王がイスラーム教へ改宗してイスラーム世界との結びつきを強めていった。その後マラッカ王国はアユタヤ王国から独立し、明への朝貢貿易を継続しながら、インド洋と東南アジアとの中継地点である地の利を活かし、15世紀中頃以降16世紀初期にポルトガルの進攻を受けてを受けて滅亡するまでの間、ジャワのマジャパヒト公国にかわって東南アジアにおける最大の貿易拠点となった。
https://sekainorekisi.com/glossary/%E9%84%AD%E5%92%8C/
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ー?→
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1405年には明の永楽帝より命を受け、遠くアフリカ大陸まで大遠征を行った海軍大将・鄭和の艦隊も、マラッカに初寄港している。マラッカ王朝は朝貢貿易を通じ明国との同盟を強固し、北の大国シャム、南のサムドラ・パサイ王国からの脅威を牽制していた。マラッカ王国は1414年頃イスラム化し、香辛料貿易における重要な東西中継港として繁栄を極めた。
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後ほど →
ポルトガル領マラッカ → オランダ領マラッカに。
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イエズス会のフランシスコ・ザビエルはここから東アジア布教に出発している。
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明の時代、
内政に重きを置く
儒家勢力 と
外向に重きを置く
宦官勢力 の2つ勢力があり、明朝の3代・永楽帝は、
宦官勢力 の協力を得て帝位についたので、
外向の政治家 側に重きを置いていました。中でも、
鄭和 (
馬三保) は
宦官勢力 の重臣として活躍し、近年では、
鄭和 (
馬三保) の艦隊が、初めて世界一周をしていた。と指摘されています。
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*近年、英国の退役海軍将校で歴史学者でもあるガビン・メンジースが「スペインのマゼラン艦隊」よりも100年先に『鄭和 (ていわ) の艦隊』が「世界一周」をしていた。と指摘しているほどです。
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明朝の3代・永楽帝が亡くなると、外向に重きを置く 宦官勢力 の勢いは衰退し ⇔ 内政に重きを置く 儒家勢力 の勢いが増して行き、鄭和 (ていわ) の艦隊が作った『航海地図』などが焼かれてしまい。その『航海地図』は、中国大陸では姿を消しましたが、E欧諸国には残っていました。
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明代の1557年には、
中国の南蛮地域 / 広東省のマカオのみ、ポルトガル商人が私貿易を行う事を許可しました。
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内容は複雑していますが;
ジャガイモの語源は、17世紀初めにジャワ島のジャガトラ (現・ジャカルタ) から伝来した「ジャガトライモ」が転訛して『ジャガイモ』になった説? 中国語の馬鈴薯 (マーリンシュー) が馬鈴薯 (ばれいしょ) ?
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「馬来 (マレー) の芋」が馬鈴薯 (ばれいしょ) ? という説など。諸説あるようです。
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ジャワ島には主に
ジャワ人が住んでいたけど、
マレー人ほか、複数の民族・複数の宗教が混合するイスラム教国でもあったようです。
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19世紀は西欧列強による世界の植民地化の時代、20世紀は2度にわたる世界大戦による西欧の破産とその破産管財人である米ソによる残務処理の時代であった。21世紀は西欧の覇権の下にあったロシア文明・中国文明・インド文明・イスラム文明の再興による文明の再編の時代となる。シルクロード経済圏の覇者を目指す中国の一帯一路構想・ロシアのウクライナ内戦・クリミア危機への介入は、大陸国家の中国とロシアが文明再編の主役である事を示している。
が ⇔ 実際問題、蔭の主役は古代も近代も現代もイスラーム世界である。イスラームは、西欧の世界支配の枠組「領域国民国家システム」自体を揺るがす可能性を秘めているのである。
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… 上記本の説文に →
21世紀は西欧の覇権の下にあったロシア文明・中国文明・インド文明・イスラム文明の再興による文明の再編の時代となる。← とありましたが、東南アジアは中国文明・インド文明・イスラム文明・キリスト教も?の交差点で マラッカはインドのゴアと中国のマカオの中継点になっていたので、あまり目立たないけど、秘かに15世紀のマラッカを舞台とする時代は非常に重要に思います。
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(・・? ひいては?
15世紀に登場する勝連城主の茂知附 (もちづき) について調べる事も重要に思えて来ました。
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