誰も期待していなく思いますが、
第2回の茂知附 (もちづき / 望月) ブログはしばらくお待ちください。
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… いちおう →
この度ブログも茂知附 (もちづき / 望月) ブログと多大な関連性を思われますが、自分は『衝動的』に実験ブログや歴史ブログをする事があり、ブログのテーマに宛てもなく「第1回」『その2』など。衝動的に付ける事があります。この度ブログは下書きメモの長文駄文ブログになっています。
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2024年5月ころ、そば粉を使用した実験ブログをしていました。
https://www.asaobo.jp/blog/3540
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沖縄県では、
蕎麦 (そば) 粉文化は淡 (アファ) いけど、日本列島には縄文時代から蕎麦文化が存在。古くは島根県や北海道・高知県に。また、信濃国や越の国・近江国・筑紫国・陸奥国・常陸国・など。蕎麦の里と見られます。
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(・・? 蕎麦というと?
紐状の麺 (メン) ような形を連想する方が多く思います 蕎麦 (そば) が紐状の麺 (メン) の形になるのは江戸時代の半ば 〜 で。それ以前の蕎麦 (そば) は、蕎麦掻 (そばガキ) ような形状が主流であったといいます。
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一説によると、
江戸時代に蕎麦 (そば) を普及させたのは保科正之 (ほしなマサユキ) という人物で。保科正之は3代将軍・徳川家光の異母弟で会津藩主の祖。儒学者でもありました。
保科正之は幼少期に信濃国の保科家 / 高遠藩に預けられ、後ほど 信濃国の蕎麦 (そば) を江戸や出羽国に普及させていたようです。← 江戸時代の初期お話で。その頃の蕎麦は蕎麦掻 (そばガキ) ような形状を云われています。
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… そのほか →
出雲蕎麦や出石蕎麦・など。信濃国の関係者が江戸時代に大名の国替 (転勤) とき、蕎麦の里になった地もあるようです。
https://www.asahi.com/and/article/20180730/300014769/
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江戸時代の半ば頃、
蕎麦 (ソバ) が紐状の麺 (メン) ような形になったのは『拉麺 (ラーミエン) 』の影響?という説もあるようです
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蕎麦 (ソバ) を紐状の麺 (メン) ような形にするには 小麦粉や鹹水 (カンスイ)?を混ぜると成形しやすくなるといいます。
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(・・? 気になるお話?
日本への蕎麦 (ソバ) は、古くは島根県や北海道・高知県に。また、信濃国や越の国・近江国・筑紫国・陸奥国・常陸国・など。蕎麦の里に。今日ような紐状の麺 (メン) ような形になるのは 儒学とともに伝来?というお話です。
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たまたま何か?
『蕎麦 (ソバ) の里』は『ある事』と関連している? 思えて来ました。
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ペルシア文明のガンダーラ地方 (現・ペシャワール地方) は、今日のアフガニスタンに当てはまるようで。日本の小麦粉は仏教とともに伝来 仏教関係者の間では13世紀頃 〜 粉食文化が浸透していたようです。
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… 一説によると →
ラーメンの語源は中央アジアのラグマンという説も云います。
栽培小麦の発祥地はメソポタミア文明で。ペルシア系の遊牧民 (駒人 / こまピト) が東西に普及。E欧のイタリア方面では『ラガーナ』 中央アジアでは「ラグマン」と呼ばれ その後のパスタや拉麺の源泉に? との説もあるようです。
E欧の麺 →『ラガーナ』は、
しばらくの間 忘れられていたけど 13世紀ころ、モンゴル系の元朝 (中国) を訪れたイタリアのヴェネチア商人・マルコポーロの影響によつてパスタ文明が再び目覚めたといいます。
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中国でも日本でも 粉食文化に北方的で。秘かに?ペルシア的でムスリム的な何かが関連している?
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