
1945年 / 戦前の日本であれば不敬罪に処される文になっていました。が、意外にも!?その主な説文は、右派的ナショナる人・岡田英弘氏の本に記載されていました。
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江戸時代までの神様は歴史の敗者・怨霊信仰が主流であったけど ⇆ 江戸末期 〜 明治時代ころ、日本を1つにまとめる宗教的な政治が整備された。本当は1つでないけど1つに見せている。
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みんなが1つにまとまる事も大切かもしれませんが 本当は1つでない事を知る事も大切に思います。でないと ⇆ 誤解した人と人が憎しみ合う事 ⇆ またそれを悪用する政治もある事です。
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その事をどう思うかは人それぞれ
表面上の日本と水面下の日本が古代もの大昔から存在し その2つエネルギーは「お家」と『お庭』に関与する物語。「海』は「壁」ではなく『道』であった。その事を踏まえて、昔ブログの「お家」と『お庭』を編集して見ました。
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またまた
一遍は熊野信仰 (←葛城族の) や 白山信仰 (←秦氏の) を再興させた人物であった事も重要点で。徳川家康の祖・徳阿弥もその門徒。江戸時代の開府 (称号・征夷大将軍とき) も時衆 (時宗) の協力が無ければ成立不可能で。また一遍は、信濃国 / 蛇 (ナガ) の国の善光寺をスタートに遊行の旅をしていた 事も重要点です。
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… 結論を言うと
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徳川家康は本能的の変とき逃避行、
島津義弘は関ヶ原の戦い時の逃避行。⇆ 2者を保護した衆は蛇信仰を持つ海商人が多く 後ほど
海外との商取引とも天主教徒とも結び付いていました。
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自分の解釈では✽
『豊臣家・徳川家・島津家』⇆『3家』とも
一向宗徒と天主教徒を『封印』しつつ「利用」していた。⇆ その2宗は海商人が多く蛇信仰ともSet関係にあった。
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信濃国は蛇 (ナガ) の国?
… 第9回お話
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https://www.asaobo.jp/blog/3030
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… 第10回お話
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https://www.asaobo.jp/blog/3179
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… 第6回お話
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https://www.asaobo.jp/blog/3002
(・・? 突如として?
天主教・肥後国というキーワードが登場していますが、肥後国も天主教と建御名方 (タケミナカタ神) の里 ⇆ 蛇信仰の里で。天主教は浄土的な衆 (宗) をライバル視てたので、その支持層も重複します。

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またまた
肥後国と信濃国は南朝勢力の里で。南北朝時代、肥後国には懐良 (かねよし) 親王 信濃国には宗良 (むねよし) 親王が保護されていました。
(・・? 突如として?
南北朝時代 ⇆「北朝」と『南朝』というキーワードが登場していますが、← その2つエネルギーは「お家」と『お庭』に関与する物語でもあります。
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… 第15回お話
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https://www.asaobo.jp/blog/3260
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南風原村には海が無いけど、大国子は毎日釣りをしていた伝承や大国大主 (デークンうふしゅ) の養子 大国子 (デークンしー)
その名称や説話は日本の出雲神・大国主命 (オオクニヌシ) 信仰と似ています。
室町幕府の8代将軍・足利義政 (銀閣寺) の時代に封印されていた南朝 (歴史の敗者) は勢いを増します。
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1450年 / 5代目・尚金福王の時代に芥隠承琥 (かいいんしょうこ) という京都五山派の僧侶が来沖。
1456年 / 6代目・尚泰久王の時代に芥隠承琥は『広厳寺・普門寺・天龍寺』3つ寺を琉球に建立。天龍 (てんりゅう) 寺は山城国 ⇆ 後醍醐天皇の菩提寺 広厳 (こうごん) 寺は摂津国 ⇆ 楠木正成の菩提寺で。摂津国の大倉山駅・楠町の湊川で楠木正成は亡くなったと云う。芥隠承琥は臨済宗南禅寺派の僧侶で
室町幕府の8代将軍・足利義政 (銀閣寺の時代) と結び付く人物。
おそらく?普門寺という寺は無関普門 (むかんふもん) の名前を由来しているように思います。
無関普門 → 普門寺 → むかし普門寺 (ふもんじ) があった所 → 普門寺跡地 → 普門地 (ふもじ) → 久茂地 (くもじ) に。
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https://asa-koubou.com/2024/06/04/%e3%81%9d%e3%81%b0%e7%b2%89%e3%81%a8%e5%b0%8f%e9%ba%a6%e7%b2%89/
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(・・; 編集しても ;
江戸時代 /1国1城令の時代、肥後国には熊本城と八代城 2つ城があった。
「海』は「壁」ではなく『道』であった。
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