昔んかし、
小学生ころ 土曜ロードショー番組でホラー映画を上映していました。
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番組の途中でCMが流れ ⇆ なぜか?これまで何度も見ていたCMが違う印象に見えました。
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人は作り話だと知っていても、その世界に入り込む心を持っており。また人は不安になると 作り話かどうかも知らぬまま集団心理に導かれ → 恐ろしい行動をしてしまう事もあるかもしれません。
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関東大震災や911テロなど。
日本でも米国でも噂話で集団心理に導かれ → 恐ろしい行動を云われています。
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ある日のブログでは、
沖縄戦は「心理戦』が本格的に行われた戦争。との情報を載せて見ました。
https://asa-koubou.com/2025/06/23/%ef%bc%92%e4%ba%ba%e3%81%ae%e7%9c%8c%e7%9f%a5%e4%ba%8b%e3%80%80%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%91%ef%bc%9f/
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時の戦争は、米国も日本も「民衆の解放」と『アジアの解放』という一方的な「党是』を持っていた。そして、米国人も日本人も1人一人は多種多様な心を持っているけど 組織の人になればなるほど
人は「感情」よりも『任務』を優先する。
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… 昨今では
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戦争政治では「悪い人」もいたけど『良い人』もいた。悪い点のみ見せて良い点は見せていない。という論調が浸透 / 普及している事について。悪い人も良い人も個人の感情 ⇔ 戦争には組織の任務もあるので、多種多様な個人の感情がある事は知っているけど、人は平時よりも戦時 不安を感じれば感じるほど → 集団心理 → 組織の任務も優先する心理を持っていると思います。
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泉知事は戦争が恐かったというよりも ⇔ 軍官民1体の戦争政治に覚書 (サイン) する責任を負わされる事を恐れていたようにも感じました。
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2025年6月ころ、
第32軍 (派遣軍) の司令官・牛島満の電信文が大本営 (中央軍) によつて書き替えられていた という風な News が流れていました。
第32軍 (派遣軍) の司令官・牛島満は、皇国思想を基としつつ「弱気」な電信文を大本営 (中央軍) に送信していたけど ⇆ 受信した大本営 (中央軍) によつて『強気』な文言に書き替えられ → 沖縄全土の司令壕や避難壕に送信された という風な内容に思います。
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(・・? 気になるお話 ?
6月23日 (22日説も) は司令官の牛島満が自決した日 (慰霊の日) であると同時に 義勇兵役法が合法化した日でもあったといいます。
… 6月23日 (慰霊の日) は
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組織的な沖縄戦は終了し ⇆ ゲリラ的な沖縄戦が始まる分岐点になっていたようです →
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多くの沖縄県民は6月23日 (慰霊の日) が沖縄戦の終戦日だと思っているけど その後の「心理戦』によつて戦死した人も多数。その心理戦は個人の感情と組織の任務が複雑に絡み合うのでとても恐ろしい戦争に思います。
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沖縄戦は心理戦が本格的に行われた戦争で。心理戦では、米軍側は投降や捕虜を呼び掛けるビラ ⇔ 日本側は投降も捕虜も許さない教訓。← そのため、1度米軍の捕虜になった者が仲間に投降を呼び掛けた際 ⇆ その人物は殺害される事もあった。当時は「軍官民1体』の戦時体制ため、捕虜になる事は情報漏洩やスパイを疑われ、投降 ≒ 非国民の時代。といいます。
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また2025年6月ころ、
TBSの報道特集で 久米島事件に関する番組をしていました。
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… 久米島では
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沖縄戦が終了した6月23日以降も日本戦が終了した8月15日以降も住民が虐殺される事件が起きていた事が気になっていました。
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久米島の鹿山隊は『通信部隊』であったので、沖縄戦の終了日 (6月23日) も日本戦の終了日 (8月15日) も知っていた可能性もあります。
✽通信部隊は無線機?
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戦争が終了した8月18日に投降を呼び掛けた久米島出身の海軍兵・仲村渠明勇1家3名?4名?が分遣隊長の鹿山兵曹長によつて虐殺される事件が起きた。後ほど鹿山兵曹長は、それは「虐殺」ではなく『信念』← 任務と語っていました。
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内容は飛びますが、
戦時の沖縄県の人口は45〜47万人くらい ⇔ 米軍は54万人くらい上陸した。と云われているので、内心では米軍に勝てないと思った人もいたと思います。現地から遠く離れた大本営の通信を基に戦争優位 (戦意高揚) の情報新聞が壕中で制版され、そうした新聞 (情報) を多方面の司令壕や避難壕へ伝令 (宣伝) するのは千早隊と呼ばれる鉄血勤皇隊 (少年兵) の役割であったようです。
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鉄血勤皇隊 (少年兵) の壕堀隊は「留魂壕 (りゅうこんゴウ) 」を作り、その壕中で沖縄新報 (新聞) が制版 ⇆ その情報を伝令するのは千早隊の役割。
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留魂壕の語源は安政の大獄とき吉田松陰が獄中で執筆した「留魂録」を由来。その吉田松陰は楠木正成の忠義心を基としていた。
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やさしい先生 (諜報員) は久米島にも派遣され、村長の娘と結婚し子も生まれる。← 村長も娘もやさしい先生が諜報員 (工作員) である事をまったく知らなかったので 村長も娘もその子にも ✽ 何の罪もありません。
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やさしい先生の名前は上原敏夫 (本名・竹川実) といい、陸軍中野学校 (スパイ養成所) から派遣された諜報員 (工作員) 。
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やさしい先生は時おり山から降りて来る鹿山兵曹長と連絡を取り合う関係にあったといいます。← 鹿山兵曹長は久米島事件に登場する人物。
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… 6月23日 (慰霊の日) は
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組織的な沖縄戦は終了し ⇆ ゲリラ的な沖縄戦が始まる分岐点になっていたようです →
6月23日 (慰霊の日) →
6月26日に米軍は久米島に上陸。
やさしい先生 (上原敏夫) は島民とともに防空壕に避難。← 島民の避難壕と鹿山隊 (通信隊) の司令壕は異なる場所にあったけど もしも?やさしい先生 (上原敏夫) と久米島事件に登場する鹿山兵曹長が連絡関係にあった?としたら?事も考えられます。
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